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現下の我が国力低下-その主因は,大学教員の著しい質の低下- 橋口 公一 九州大学名誉教授・MSC Software Ltd.技術顧問

 
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現下の我が国力低下
―その主因は,大学教員の著しい質の低下―

(2020年6月1日)
橋口 公一
九州大学名誉教授・MSC Software Ltd.技術顧問
 目下,もっぱらコロナ禍による景気後退対策が論じられているが,これは,我国だけの問題ではないとともに一時的な現象であると信じたい.近年20数年にわたって,我が日本の国力は,著しく転落し続けている.GDPは,中国の急上昇は別格として,米国,UE諸国も着実に上昇しているのに対して,我が日本は,1995年以降,停滞に転じ,先進国中,労働生産性最低で,唯一,平均賃金も低下し,長期のデフレ不況に陥っている.現政権は,このデフレ不況脱出のため,アベノミクスの3本の矢として,金融緩和,財政支出,民間投資を繰り返している.しかし,デフレは一向に解消されないまま,赤字国債が膨張している.その結果,国際信用の低下により円安が進行した.加えて,円安は輸出活性化に繋がるとの予測も裏切られて産業空洞化が進み,さらには米国のGAFAや中国のBATHに代表される脱工業化が急進展し,八方塞がりの状態に陥っている.
 この現下の窮状打開に向けて,池上彰氏,寺島実郎氏,金子勝氏,森永卓郎氏,橋下徹氏等々,多くの政治経済評論家により喧々諤々,論戦が展開されている.池上彰氏「日本は,国民皆保険が有るし,技術力に優れた民間企業が有るし,相対的にゆとりが有る」(池上彰の経済教室”)ようなノー天気な見解も述べている.森永卓郎氏は,「1985年のプラザ合意で円高を強いられた」とし,金子勝氏は「平成経済衰退の本質」(岩波新書, 2019)において,日本衰退はバブルとバブル崩壊に伴う日米半導体協定締結そして安倍政権の経済失策にあるとし,さらに,寺島実郎氏は,近著「日本再生の基軸―平成の晩鐘と令和の本質的課題」(岩波書店,2029)で,「食と農を切り捨てた“工業生産力モデル”の成功はデジタル経済への構造転換の足かせとなっている」としている.さらに,中野剛志氏、藤井聡氏、三橋貴明氏、青木泰樹氏,山本太郎氏等々の評論家や西田昌司参院議員,安藤裕衆院議員に至っては,変動相場制の自国通貨発行国にはデフォルトは生じ得ないので,インフレ兆候が表れるまで国債発行,公共事業を増幅させるべきとのMMTの強硬論で迫っているが,政府は日本をその実験場にはされたくないと慎重な姿勢を取っている.なお,落合洋一氏のSDGs重視の欧州型へのシフト論や,安宅和人氏のビッグデータの応用展開に道が拓けるとするシン・二ホン論は興味深いが,いずれも我国再生へのあくまで仮想的楽観論であろう.また,京都大学総長・山極寿一氏(生物学)は,日本学術会議会長の任にも有るが,「企業が博士学位取得者を欲しがらない,企業の技術力が落ちた」と嘆きながら,何故なのか,その原因や打開策については何等論じていない.なお,これに関連して,シンポジウム「日本の「科学技術力」未来はどこにある?」(2019.04.29)において,司会進行の京都大学・山中伸弥教授(生物学)による「日本は,欧米に比して,大学教員数も多く,国から支給される研究費も多いに拘わらず,科学技術力が低下しているが,その主因は,大学院生数が減少していること,そして,日本の企業は大学に研究費を提供しないことにあるのではないだろうか」との解釈が述べられている.しかし,何故,大学院生数が減少するのか,何故,企業が大学に研究費を提供しないのか肝心なことについては何等述べていない.
  上述の経過から,現下の窮状は,長年月に亘って繰り返えされている楽観・柔軟論からMMT論に亘る硬軟様々な政治経済政策のみでは打開できないと判断すべきであろう.円安も輸出復活に繋がらないのは,国際水準から見て,売れるものを産み出す技術力の低下によるもので,技術力の向上を図ること無しに,政治経済政策のみでは,現下の経済不況打開は到底不可能であると判断される.ひいては,無用な政策論争が延々繰り返され,無間地獄に陥っている様相である.
  本稿では,自然科学の視座から,我国の転落をもたらしている経済力低下の根本原因を分析しつつ解説して,広く国民そして文科省をはじめとする行政府や為政者に知らしめることにより,転落に歯止めを掛けたいと願うのが本稿執筆の動機である.
  解説に先立ち,転落の原因を明かせば,我が日本の沈没の根本的原因は, 「我国の大学のレベル低下」に有ると考えられる.なお,GDPの低下に歩調を合わせて大学世界ランキングは低下の一途を辿っている.そこで,以下に論理的分析に基づいて,この見解の根拠,並びに,その打開策について考えてみよう.

杜撰な我国の大学研究教育:
受験戦争を撤廃し,大学入学は甘く,充実した大学教育により卒業は厳しく

 大学入学者に対する卒業者の比率は,日本が世界最高で90%,主要先進国では,オーストラリア82%,仏80%,ドイツ78%,イギリス72%,OECD平均68%,米国53%,イタリア45%などである.欧米の諸大学では,充実した教育が行われ,それに伴う厳しい成績評価が行われる.そこで,学生は,自分に真に向いている専門分野を見極め,不向きと思えば,入学し直して,勉学に精励する.このような厳しい教育過程を踏むので,入学者の4割程度は学業に付いて行けず,卒業できない.一方,我国では,一旦,入学してしまえば,程々に教育そして成績評価が行われ,9割以上が卒業できる.したがって,専門分野に対する向き・不向きによらず,入学時の専門で生涯の職が決まってしまう.つまり,我国では,極めて無責任な大学教育が行われて,卒業生が粗製乱造される.この実情が我が国民の知的レベルを低下させて来た.したがって,企業の側でも,大学教育の効果を感じないので,専門知識の習得度を問うのではなく,どの大学に受かったか,つまり,大学入試合格の実績・能力,つまり大学のブランドで採否を判断する。なお,企業の採用試験において,大学における学業成績より,クラブ活動やスポーツ経歴をチェックする面接試験を重視するのも,大学教育への信頼の無さを示しているに他ならない.いい加減な大学教育に魅力を感じないのは当然として,より生き甲斐を感じることに打ち込んで大学生活を謳歌した積極的な生き方を評価しているのであろう.そして,大学教育のいい加減さの穴埋めのため,入社後,社員研修と称して再教育を行うことを当然のこととしている。なお,後述の大学教員の質の低下と相俟って,学部より修士課程,さらに博士課程に至るにつれて,教育の杜撰さが増幅される.
  このような我が国の大学教育の杜撰さの改善は,掛け声だけでは実現できない。その具体的施策は,先ずは,欧米の大学と同様に,入学の門戸は大きく開いて,その代わりに,入学した学生の例えば3割程度は卒業できないように規則化することであろう。なお,一部の大学のみが行えば,それらの大学への受験者数が激減するに違いないので,文科省の陣頭指揮で,全国立大学を対象に初年度は8割,3年後は7割のように徐々に卒業を厳しくして行けばよい.
  なお,欧米では,自分の能力や興味に合わない大学や専門分野を選んで,入学金,授業料を払い続けても,卒業できなければ,多大な時間と費用を無駄にするので,自分の能力や興味に合った大学・専門分野を熟慮,選択して入学する。したがって,大学卒業は厳しいが,入学の門戸は広く,受験地獄に喘ぐことはない.一方,我国においては,一発勝負の受験戦争を勝ち抜きさえすれば,後は野となれ山となれテレンパレンな大学生活でも,最高学府の学歴が補償される.
  なお,以上により,受験産業が巨大化し,社会的・経済的問題を引き起こし,加えて,中学,高校の教員が一流校,一流大学に何人合格させたかで評価され,成績の芳しくない生徒への対応を疎かにすることに起因する校内暴力,小学高学年から大学入学までの長年月に亘る精神形成期を暗黒の受験地獄で過ごすことにより,いびつな人間形成,さらには国際化,グローバル化社会に求められる会話力やコミュニケーション能力の欠如がもたらされている.
  なお,冒頭に記したように,日本学術会議のシンポジウム,提言書,刊行物の多くに見られる見解では,日本の凋落の主因を高校以下の教育の不備に帰している.しかし,高校までは世界に類を見ない厳しい教育が行われるが,大学入学後,一転して堕落し切った4年ないし9年の長期に及ぶ怠惰な生活で,知性,精神両面で台無しにされるに至る.挙句,国際水準から見れば,我国は教養後進国に転落しつつある.後述の理学・工学分離で,理学一点豪華主義によるノーベル賞受賞に浮かれて,この実態に気付いていないのは残念である.
 以上により,『大学入学は甘く,卒業は厳しく』への早急な変革が切望される。

競争原理を無視した悪平等化による大学教員の質の低下

  近年,大学教員の質が著しく低下した。これには,具体的背景がある。先ず,文科省が俗に言う学位審査権つまり博士号を出す権利を乱発したことが挙げられる。大学教官へのパスポートである学位審査権は,かつては国立大学では旧制大学に限定されていたが,30〜40年前に,全ての国立大学に与えられた。つまり,大学の平等・平準化が行われた.しかし,平等化に伴うべき競争原理は,有意には導入されないまま実施され,今なお導入されるに至っていない.
  全ての国立大学において,助教は2等級,講師は3等級,准教授は4等級,教授は5等級に階級化され,等級が同じなら大学,学部によらずほぼ同じ給料が支給される。したがって,昇格が難しい拠点(旧制)大学ほど,教授に就任する年齢が高く,教授としての在職年数が短く,5等級の俸給を手にする年数が少ない。逆に,人事募集において応募者が少ない大学ほど,教授への昇格が容易で,教授在職年数が長く,5等級の俸給を手にする年数が長い。結果的に,国立大学において,拠点大学教授経験者は定年までに手にする俸給は少ないことになる。知力・能力は元より,研究活動,学会運営,委員会活動等々で,激務に追われるにもかかわらずであり,悪平等どころか,逆転待遇である。なお,我が国の国立大教授の年収は900万〜1,250万円の薄給で,大きな差はないの対して,米国の大学教授の年俸は,ハーバード大の$198,400やスタンフォード大の$195,400をはじめ一般に遥かに高額であるが,最下位の大学では$2,200で,大学によって大きな差がある。
  さらに,企業の場合には,部下の採用・選択の自由は無いが,大学においては,助教や准教授の人選はほぼ教授に委ねられている.しかし,競争原理の機能していない我国の大学においては,有能な助教や准教授を採用しても,教授自身の研究費や年収増加に繋がらないことに加えて,有能な部下を採用すれば,教授に対して従順な態度は望めず,むしろ軽んじられる.したがって,学部から大学院まで自ら育てた従順な教え子を採用することになり,教員の自家生産が進み,さらに,その後,そんな教員組織で昇格人事が行われて,教授に昇進して定年まで行きつ付く.その結果,ジゴロまがいの教員が増産されて,教育,研究両面の質の低下が加速され,実質的な組合化,共産化が進行した。挙句,学術会議から発出される我国再生についての提言書(例えば,日本学術会議・応用物理からの提言(2020))に記されているのは,やれ研究費を上げろ,やれ研究費を平等に分けろ,やれ事務手続きを簡素化しろといった日教組の声明文・要求書と見紛う内容ばかりである.
  斯様な大学教員の質の低下に呼応するかのように,2004年に国立大学の独立法人化が断行された。それにより,教員の自主性が制限され,教員選挙で一位獲得者が必ずしも学長に選任されず,また,学長と学長が指名するメンバー(指定職)で構成される理事会が大きな権限を持つことになり,選挙で選ばれる学部長は指定職から外された。また,教員の研究費も大幅に削減され,年俸が切り下げられ,さらに,年金は,到底まともな生活は望めないレベルに著しく低下した.また,定年後,少子化で私大等への再就職は至難である.つまり,定年後,生命を繋ぐためだけの厳しい生活に晒される.さらに,叙勲制度においても大学人の位置づけが著しく低下した。かつては,大学教授は70歳に達すると,最低でも勲三等(現在の瑞宝中綬章)を与えられたが,独法化後,学部長歴任者でも叙勲から見放され,一般教授ともなれば,生前叙勲は能わず死亡叙勲に転落した。一方,職員数は数十名に満たないながら国立研究所等の管理職などの経験者は70歳になると同時に叙勲に浴する。したがって,数十年前に比べると,大学人に対する世間の接し方も著しく低下したことを肌で感じる昨今である。かつては,大学人は十分な見識と人格を備えていると思われているように感じられた。今でも,一応,先生と呼んでくれるが,尊敬の響きはなく,むしろ“先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし”と受け止めざるを得ないように空しく響いてくる。現時の大学教官の知性・風格に何等格別はものは感じないからであろう.大学教授の名刺が黄門様の印籠代わりに通用したのは過去の幻影に過ぎない。斯様な大学人に対する評価・処遇の低下により,院生の大学教員職への憧れが失せて,その質の低下が加速された.余談であるが,一昔前は,クラブ等にボトルをキープしていた大学教授も少なくなかった.今や,とてもそんな金銭的余裕は無い.そして,クラブ等で大学教授と知れても,あっそうとそっけない反応が返って来る.薄給なくせに無理して,ケチな飲み方しに来ないでもいいのにと感じているのであろう.あるいは,企業等に接待で招かれる時でも,どうせ自分では払えないくせにと思われているように感じられて肩身が狭い.大学教授と知れると,目の色を輝かせていた往時が懐かしい.
  我国の大学教官の給与は上述のように国際水準から見れば,低く抑えられている.その上,競争原理を機能させるためにも,また,研究意欲向上の面からも,欧米のように,科研費をはじめ獲得した研究費の中に,研究者自身の報酬を含める制度を導入すべきであろう.
  なお,今年2月の国会予算委員会で,自民党議員が我国の企業は,日本の大学には数百万円せいぜい数千万円程度の委託研究費しか提供しないのに対して,欧米の大学に数億円さらには数十億円の委託研究費を提供しているが,寄付税制について検討すべきであると主張していた.しかし,これは,税制の問題ではなく,我国の大学教員の質の低下が根本原因で,我国の大学に資金提供してもドブに捨てるに等しいからに他ならない.また,前文部科学大臣は,我国の企業は“目利きが無いので目先のことにしか考えず,大学の基礎研究に投資しない” と我国の産業の衰退を企業のせいにして嘆いているが,企業は我国の大学の実態を把握しているからこそ大学に研究投資しないことを認識すべきであろう.
  客観的人事評価制度に基づく競争原理の導入により教官の質の向上を実現し,高等研究教育の抜本的改善を推進するよう切望されて止まない。

大学院博士課程教育の質低下:充足率の低下

  欧米では博士課程修了者が主流であるのに対して,我国では,未だに修士修了者が主流で,欧米に比して我国は低学歴社会であり学歴後進国である.したがって,“博士しか相手にされない欧米,博士を必要としていない日本”が表すように,欧米では,博士であれば,就職の門戸が広がり,特に研究職への必要条件であるのに対して,我国においては,博士課程に行くとむしろ就職が難しくなるので,修士課程で学生生活に終止符を打つ.その背景を考えてみよう.
  我国では,欧米と対照的に,大学院,特に,博士課程においては講義,実習を含め,教育は無に等しい.そして,先述のように研究者として低レベルな教官の創造的研究とは言い難い低次元な仕事の手伝いに長年月を無為に過ごすことになる.特に,近年,市販の輸入計算ソフトを用いて,特定の現象を解析した大学教官,博士課程院生の事例報告が諸学会講演会で当たり前の顔をしてなされている.ちなみに,輸入ソフトの解析高精度・高効率化に伴い,その利用が広がり,その開発に無縁な我国では,自らプログラミングする能力が失われ,さらに,プログラミングに必要な理論研究は激減し,研究レベルの著しい低下を来している.他方,修士課程修了で入社して,直接企業活動に必要な仕事を覚えた社員の方が余程,技術開発を含む企業活動に有用であろう.したがって,博士課程修了者を企業は敬遠するのは当然である.それゆえか,企業における博士課程修了者への優遇措置は,無いに等しいどころか,マイナスである.つまり,修士を出て先に就職した者に比べれば,最低3年に及んで,学費を払いつつ極貧生活に耐えた後に,借金が残ることよる金銭的損失は多大であるが,それを補うほどには,博士課程を修了して入社した社員に対する昇給制度は見られない.ちなみに,企業における社会人博士学位取得による評価・優遇措置は,技術士免許取得のそれと同程度でしかない.一方,欧米には,社会人博士制度は無く,企業等に就職後,或る程度,貯蓄ができたところで,博士課程に入って,専門知識,研究能力を高める.そして,学位取得して再就職すれば,博士課程在学期間の総支出を補って余り有る高度な待遇が得られ,昇格が早まる.しかし,我国では,企業や官公庁で成功した博士課程修了生は稀で,博士学位に対する認識が欧米と真逆である.
  また,社会人博士課程は,博士学位取得者を粗製乱造するために設けられた我国独特の苦肉な制度とみなされる.企業で仕事をしながら,1〜3か月に1度のペースで大学研究室に顔を出すだけで,国際誌としては通用しない論文を国内誌に出す片手間仕事で,博士学位が与えられる.このようないい加減な博士課程,博士学位授与制度は欧米には見られない.なお,レフェリー付き論文を数編発表することを博士学位取得の要件としているが,日本人にしか分からない言語で発行される国内誌発表論文の大方は国際誌としては通用しないレベルで,国内論文誌発行は我国の博士学位粗製乱造の温床を提供している.
  以上により,文科省の期待に反して,博士課程の充足率(入学定員に対する実入学者数の比率)は低下の一途を辿っている.したがって,教授自ら研究室の博士院生充足率アップのため,修士院生,卒業生,社会人に誰彼となく博士進学を頼んで回る情けない実態も見られる.なお,学部入試,修士進学までの筆記試験を伴う客観的な試験とは異なり,博士課程進学に当っての審査は無いに等しく,有象無象誰でも,博士院生になれる.博士課程進学審査が厳しく,高度な教育・研究が行われ,企業等における博士学位取得者への優遇制度が確立されている欧米の状況と真逆である.
  以上のように,欧米に比して,科研費をはじめ国が支給する研究費はむしろ多く,また,大学教官数も大いにも拘わらず,研究・教育実績が伴わないのは,大学教官の質の低下に他ならないことが認識されねばならない.

学部制度の撤廃:理・工学部融合の勧め

  十数年前に,全国の国立大学は大学制度が施行されて以来の大改革という鳴り物入りで,改組が行われた。しかし,その結果は,○○環境とか○○システムといった捉え所のない曖昧模糊とした学科名や研究室名に抽象化しただけで,本質的な改革はおよそなされなかった。
  ちなみに,我々が欧米の大学教員への通信に当たって,宛先に○○学部と書くことはない.一方,我国の大学教員への宛先には,決まって,○○Facultyまたは○○学部を記されている。これは,我が国の大学は強固な学部制度で編成され,学部単位で教授会が行われ,教育・研究の基本方針が決定されて運営されていることによるに他ならない。この厚い学部の壁に仕切られて,理学部では純粋理学が主流で,地球物理学などの極く一部の分野を除いて応用科学をやっていたら助教にすらなれない。理学部では純粋理学に特化するあまり,理学部出身者の多くは,基礎研究・教育機関への就職に偏重し,産業界との繋がりは希薄である。一方,工学部で,応用理学的研究をやっていると,周囲の教員から訳の分からないことに染まっていると蔑んで見られ,仲間外れの思いにさせられる.
  一方,欧米では,強固な学部制度はなく,学科あるいは研究所の小規模の組織が,基礎から応用に亘って間断なく連なって,教育・研究が行われている。したがって,理学的基礎教育を十分に受け,高度な知識を身に付けた人材が,工業技術に関する研究に携わっている。なお,欧米では,数学科や物理学科等の出身者が産業界に就職し,活躍するのは当たり前の実状である。
  理学部と工学部の分離制度の下で,理学部では,純粋理学研究に専念できる環境下で,ノーベル賞受賞は多数に上る.しかし,国力維持に求められる主要な科学は,我国の理学部が主体的に担っている純粋科学ではなく,理学と工学の中間領域に属し,産業界に求められる応用科学である.
  高度成長期辺りまでのハード中心のローテク社会においては,我国の工学部の知識レベルで十分,対応できたが,その後,科学技術の急速な発展に伴い,高度な理学的基礎知識が不可欠な知的競争社会に突入している.つまり,工学部主体で切り抜けられたローテク社会から,科学技術の中心が工学から理学への中間領域に移行し,急速に,ソフト技術によるハイテク社会に至っている.
  その結果,脱工業化に伴い,GAFAやBATHをはじめ巨大IT企業やDell, Microsoft, IBM等々のソフト企業が産み出されたが,これらいずれも外国籍である.さらに,生産業を支配するCAD, CAM,FEM等の解析・設計・生産技術ソフトも,我国で産み出されたものは皆無に等しい.これらは,主に欧米の一流大学の応用科学関係の学科や研究所で開発されており,我国は,これらの輸入を余儀なくされている。輸入ソフトの高度化につれて,我国では,企業のみならず大学・試験研究機関においても,輸入ソフトの利用に終始し,基礎研究に対する意欲・能力の低下は元より自らプログラミングする能力も著しく失われている.無論,我国にも,IT業は存在する.しかし,我国のソフト関係企業は,輸入ソフトの販売と利用技術サポートを担わせられており,その社員は,外資系ソフトメーカーの日本支社社員に比して遥かに低い賃金に喘ぎ,外資に隷属している実態である.なお,ソフトの活用には高度な技術サポートが必要であるが,販売会社ではメーカーに比して,技術サポートは自ずから不十分であるので,余程廉価でなければ外資メーカーの日本支社から直接購入する.我国のIT関連企業は,この厳しい状況が加速的に拡大する現実に直面している.
  上述のように,我国の工業技術は著しく低下し,それに伴い,技術系の社長は元より管理職が激減した.これは,GAFA等の欧米企業の社長の多くが技術系である実情との相違に如実に表れている. 学部制度を廃止し,そして基礎の理学から応用の工学へと間断無く学科・研究所が連なる教育研究組織への改編が急務であろう。
  国単位でみるとき,経済力が大学レベルに影響するのではなく,大学レベルが経済力に影響し,大学のレベルが国の盛衰を左右すると言える.

大綱化の弊害:理数系における専門性強化の重要性

  物質面の飽食時代に至って,大学設置基準の大綱化つまり規制緩和が施行された(1991年).その一環として,ゆとりの教育が始まり,大学においては必修科目が減らされて選択科目が増やされた.これにより,環境,システム,プロセス等の基礎科学的分類から遊離し漠然とした名称を冠した教育研究組織へと拡散した.これにより,高い専門性を要求される理系,特に理数系教育・研究の著しい衰退を招いた.資源開発,工業化,原子力利用,地球温暖化等には,俯瞰的視点に立った科学技術の活用の有り方の重要性についての認識をもたらした.しかし,理系の科学技術の研究開発には,高い専門性が求められる.それには,その学術の活用の有り方とは自ずから異なり,俯瞰的知識以前に,高い専門性が求められ,大学教育においては必修科目による専門性への縛り・強化が不可欠である.大綱化は,既述のように日本学術会議の会員選挙・運営にも暗い影を落としており,我国の研究開発力の低下ひいては産業の衰退を招来している.


結び

  以上,現時の我が日本の凋落の原因について分析し,この窮状は,学識者,評論家,さらには野党のみならず与党を含む国会議員が金融政策,貿易協定等々について政治批判を繰り返えしている経済政策の改善で打開できるものではないことを指摘した.そして,凋落の根本的原因は,物作り社会から情報ITを含むハイテク社会への移行に逆行して,我国の技術レベルが低下し,我国の産品が外国産品に比して性能が劣り,国際競争力を失ったことにあり,これは,先端研究を担い高度技術者を生み出すべき大学の研究教育レベルの低下に根差すことを指摘した.さらに,大学の教育研究レベルの低下の具体的な事項として,1.不合理な大学入学・卒業制度:教育の杜撰さ,2.競争原理を無視した悪平等による大学教員の質の低下,3.博士課程教育のレベル低下,4.強固な理・工学部分離制度,4.教育の大綱化が挙げられることを指摘し,これらの解決策について具体的提案を行った.これらは一見,突拍子もない見解に感じられるかも知れないが,以上に詳述したように,否定し得ない厳然たる事実である.なお,物作り社会から情報IT社会への移行,愛国心の乏しさによるのか欧米を含む海外への生産拠点移転による産業空洞化等も,我国経済の衰退に影響を及ぼしていると思われる.転落の危機迫る中,本稿で述べたことに留意しつつ叡智を結集して,現時の国力低下に歯止めを掛けて没落を回避し,さらには復活に向かうよう切望されて止まない. 
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